インタビュー
超高齢社会シンガポールで広がるユマニチュード――地域に根付くケアの仕組みづくりに挑むHumanitude Singapore

(左)シラナ氏(写真提供:ご本人)
(右)フランク氏(出典:ウェブサイト「humanitude SINGAPORE」 https://www.humanitudesingapore.com/about )
今月福岡市で開催される「国境なきユマニチュード国際会議」の登壇者インタビュー第2弾。今回は、急速に高齢化が進むシンガポールにおいて、ユマニチュードの普及を牽引する「Humanitude Singapore」の共同創設者兼ディレクターであるシラナ・ティンマニー氏(以下、シラナ氏)とフランク・ディブエ氏(以下、フランク氏)にお話を伺いました。
シンガポールの地域特性に合わせた独自の導入モデルや、政府機関および地域介護ケア団体などとの連携による制度化への取組など、「持続可能なユマニチュードの仕組みづくり」についてご紹介します。
高齢化先進国シンガポール――ユマニチュード普及への歩み
――シンガポールでユマニチュードを導入し、広めようと考えたきっかけは何だったのでしょうか。
(フランク氏)
以前、私は臨床心理士として、フランスで介護施設や病院のスタッフに研修を行っていました。その中で、ユマニチュードを学んだ研修生から、「人生が変わった」「より良い人間になれた」といった声を数多く聞き、大きな衝撃を受けました。そこからユマニチュードに興味をもち、理解を深めていきました。
その後、シンガポールへ移住し、日本と同じように急速に高齢化が進むシンガポールの現状を目の当たりにしました。
そして、「ユマニチュードのケア技法は、シンガポールが抱える高齢化の課題を解決できる」と確信し、2019年に活動をスタートしました。
(シラナ氏)
シンガポールは、約600万人が暮らす小さな国ですが、日本を追うようなスピードで高齢化が進んでいます。
Humanitude Singaporeは現在5人のチームで活動しており、フランクが全体の戦略やイノベーションを担当し、私がコミュニケーション部門の責任者兼トレーナーを務めています。チーム内には私を含めて4名の認定トレーナーがおり、さらに、研修を受けた医療・介護機関でも認定トレーナーが育成され、現場で活躍しています。
2019年の活動開始以来、約1,500人の医療・介護専門職に対し研修を行ってきました。これまで15の医療・介護機関で研修を実施しており、多くの施設で現在もユマニチュードの実践が継続されています。
持続可能な仕組み(エコシステム)をつくるための「4つの柱」
―現在展開している主な活動について教えてください。
(シラナ氏)
活動を続ける中で、ユマニチュードの普及は、単に研修受講者を増やすことではないと学びました。大切なのは、ユマニチュードが地域のケアシステムの中で継続して実践される環境を整えることです。そのため私たちは、次の4つを柱として活動しています。
- 地域での対応力向上と、未来を担う人材の育成
- 介護施設への研修および導入サポート
- 地域コミュニティとの連携と情報発信
- 品質保証と持続可能な運営体制の構築
現在は大手の高齢者施設グループと協働し、「3年間で6施設のスタッフ60%以上が研修を受講すること」を目標に掲げて、プロジェクトを進めています。
また、高齢者介護サービスを統括し、介護者を支援する政府機関「総合ケア庁(AIC)」とも緊密に連携しています。2年前には、AICからの資金援助を受けて同庁との共同で試験的な研修を実施しました。現在は、その成果をもとに、政府が策定した介護スタッフの能力開発評価基準の中に「ユマニチュード」の研修を組み込むための話し合いを重ねています。
国の制度に合わせた「独自の導入モデル」へ
――ユマニチュードを普及・推進する上で、最大の課題は何でしたか?
(シラナ氏)
最大の課題は、ユマニチュードの理念や質を維持しながら、シンガポールの制度や医療・介護人材育成の仕組みの中に、ユマニチュードを調和させて位置づけることです。
多くの施設長や管理者は、「ユマニチュードは本当に素晴らしい、ぜひ導入したい!」と高い関心の声をいただいていますが、優先すべき業務が競合する多忙な現場では、研修時間の確保や新しいプロジェクトの導入は容易ではありません。
また、地域介護の現場では、ミャンマー、フィリピン、インドなど多くの外国人スタッフが活躍していますが、現行の国の研修補助制度には制約があり、外国人スタッフへ高度で専門的な研修を行う場合は施設側の費用負担が大きくなるという課題があります。この「時間」と「資金」という二重の障壁をどのように克服するかは、私たちの最大の挑戦であり、私たちは今もその課題の解決に向けて取り組んでいます。
――その困難に対して、現在はどのように取り組んでいらっしゃるのでしょうか?
(フランク氏)
私たちは、ユマニチュードのケアの本質を損なうことなく、シンガポールの制度に適合させ、また人員不足の課題を克服するために、現在、研修カリキュラムを細かく再設計しているところです。
具体的には、政府が定める能力開発評価基準に合わせ、ユマニチュードの能力基準を「基礎レベル」と「中級・上級レベル」の2つに分けて提供することを検討しています。費用負担が大きい外国人スタッフ向けには、本来の研修よりも短いコースである導入研修から段階的にステップアップできる仕組みを構築し、修了証明書の取得に必要な次のステップを自発的に選択して受講できるようにする予定です。一方で、資金面の問題が生じない中級・上級レベルのスタッフには、その最適な効果がすでに証明されている、本来の4日間の研修への参加を促していく考えです。
このように、国のシステムや現地の状況に合わせた柔軟な調整を行うことは、大きな労力を伴います。しかし、ユマニチュードをこの国に根付かせていくためには欠かせない取組であり、これこそが私たちの重要な役割だと考えています。
確かな成果と、現場で起きているリアルな変化
――ユマニチュードを導入したことで、実際にどのような成果が生まれていますか?
(シラナ氏)
導入施設では、研究データと現場での実践の双方から、さまざまな成果が報告されています。
例えば、2019年からユマニチュードを導入しているクー・テック・プアット病院での研究では、認知症やせん妄のある患者さんに対して、身体機能や日常生活動作(ADL)、幸福感の改善が確認されました。また、ケアスタッフにおいても、バーンアウト(燃え尽き症候群)の軽減や共感性の向上が報告されています。
こうした研究報告に加え、現場の日常にも大きな変化が生まれています。
以前は、ケアを拒否したり大声を出したりする場面が多く見られましたが、ユマニチュードの実践により、高齢者が自然に起き上がり、椅子に座って会話を楽しむ姿が増えました。
このような変化が、自分の仕事に誇りややりがいを感じられるようになるなど、ケアを行うスタッフにも良い影響をもたらしているのです。
言葉や国籍を越える「世界共通のケアの言葉」
――シンガポールは多くの民族や言語が共存する国ですが、コミュニケーションでの壁はありませんでしたか?
(シラナ氏)
文化や言語の多様性による大きな障害はありませんでした。相手を大切に思う気持ちは世界共通だからです。
確かに、海外から来たケアスタッフの多くは、最初、「言葉が通じない」という言語の壁に悩まされます。しかし、ユマニチュードの「センソリー・キャプチャー(五感を通じたコミュニケーション技術)」や「見る」「話す」「触れる」といった関係性の技術を学ぶことで、言葉だけに頼らないコミュニケーションが可能になり、認知症の方と心から通じ合えるようになります。ユマニチュードこそが、国籍や言葉の違いを越えた、「世界共通のケアの言葉」になると感じています。
今後、私たちは、介護施設だけでなく、家族介護者や、外国人の住み込みヘルパーへの教育にもさらに力を入れていきたいと考えています。

国際会議へ向けたメッセージ
――10月に福岡市で開催される「国境なきユマニチュード国際会議」に向けて、メッセージをお願いします。
(シラナ氏・フランク氏)
ユマニチュードはフランスで生まれましたが、その未来は、このケアを受け入れ、大切に育ててくれるすべての国や地域に広がっています。
海外での普及とは、現地のリーダーを育て、その地域に根付く仕組みをつくることです。
今回の国際会議は、それぞれの地域に合わせたやり方を尊重しながら、お互いの経験を分かち合い、仲間との繋がりを深める貴重な機会だと思います。福岡での出会いが、持続可能なユマニチュードの輪をさらに広げていくための、大きな原動力となることを心から期待しています。
【編集後記】
シンガポールでの実践は、地域の実情に合わせながらユマニチュードを根付かせていく取組の一例です。今回の国際会議では、こうした各国の経験や知見が共有されることで、世界に広がるユマニチュードの未来についてともに考える機会となりそうです。