インタビュー
行政から地域社会へ広がるユマニチュード――韓国・仁川広域市認知症センターの挑戦

(左)ミナ氏 (右)ヘシン氏
いよいよ開催目前となった「国境なきユマニチュード国際会議」の登壇者インタビュー第3弾。今回は、韓国におけるユマニチュード実践の先駆者である「仁川(インチョン)広域市認知症センター」へオンラインインタビューを行いました。
お話を伺ったのは、同センターで企画広報とユマニチュード事業を統括する兼任チーム長のイ・ミナさん(以下、ミナ氏)と、韓国初の認定インストラクターとして教育を担うキム・ヘシンさん(以下、ヘシン氏)です。
韓国で唯一、行政が主体となって医療・福祉の現場にユマニチュードを導入し、数々の実績を上げている仁川広域市。公立施設での無料研修を軸とした普及活動や、大学との連携によって実証された現場の変化、さらには、行政機関ならではの制約を乗り越えながら、民間や地域社会へと活動を広げていく取り組みまで、仁川広域市認知症センターの取り組みと未来への想いに迫ります。
始まりは1本のドキュメンタリー番組。住民の熱意が動かした「行政主導」の導入
――まず、仁川広域市認知症センターの役割と、韓国におけるユマニチュード導入の背景を教えてください。
(ミナ氏)
仁川広域市認知症センターは、国の法律「認知症管理法」に基づいて全国17ヵ所に設置された広域認知症センターの一つです。主な業務は、仁川市の地域特性に合わせた認知症管理事業の企画や研究のほか、各保健所にある「認知症安心センター」や療養病院などの関連機関が円滑に業務を行えるようバックアップすることです。その中で、仁川市独自の特化事業として「若年性認知症患者への支援」と「ユマニチュードの導入・運営」に力を注いでいます。
韓国におけるユマニチュードの歩みは、2019年に始まりました。ユマニチュード考案者のイヴ・ジネスト氏と、日本ユマニチュード学会代表理事の本田美和子氏をお招きして初めて国際セミナーを開催した際、韓国の公営放送(KBS)でドキュメンタリー番組が放映されたのです。これが医療・介護の現場や市民の間で大きな反響を呼び、問い合わせが殺到しました。その結果、市民が提案する「住民参加型予算事業」として採択され、行政主導での正式な導入が決まりました。
コロナ禍により活動が困難な時期にはウェブセミナーなどを行い、2021年にIGM(ジネスト・マレスコッティ研究所)と業務協定(MOU)を締結しました。この協定により、公立施設で働く職員を対象とした「4日間の基礎研修」を実施する仕組みが整いました。その後、研修体制の準備期間を経て2023年5月から研修を開始し、これまでに約50回開催、約490名が研修を受講しています。
大学との連携で証明された現場の変化
――2023年5月に基礎研修を開始され、現在までにどのような変化が生まれていますか?
(ヘシン氏)
私たちは2022年から2023年にかけて認定インストラクターの養成を行いました。現在、当センターに2名、病院に2名の計4名の認定インストラクターが教育を担っています。
ユマニチュードを現場に定着させる上で、私たちは「本当に効果があるのか」を客観的に検証することが重要だと考えました。そこで、地元の看護大学や病院と共同でデータの収集を進めました。
その結果、認知症の当事者においては日常生活動作(ADL)の向上が見られ、周辺症状と呼ばれる行動・心理症状(BPSD)が有意に減少しました。同時に、従事者側にとっても、ケアによるバーンアウト(精神的疲労・燃え尽き症候群)が減少し、介護対応能力が向上するという相乗効果が確認されたのです。
(ミナ氏)
また、データだけでなく、研修の初日と4日目のビフォー・アフターの様子を映像で比較分析する研究も行いました。ユマニチュード導入前は拒否や抵抗が見られた方が、4日目には拒否が緩和され、痛みや身体的な不快感が減少する様子が捉えられました。このような「目に見える変化」は、現場職員の実践意欲にもつながっています。
厳しい基準を越えた「実践機関」の誇りと、徹底した品質管理
――仁川市独自で、ケアの品質管理や現場のモチベーション維持のために行っている工夫はありますか?
(ヘシン氏)
認定インストラクターのブラッシュアップとして、年に1回、ユマニチュードインターナショナルのジョアン氏が来韓し、1週間のリフレッシュ研修を受講しています。
さらに現場で実践を定着させるため、2024年から「ユマニチュード実践機関」として認定プレートを授与する制度をスタートしました。その基準は、「施設内の従事者の70%以上が4日間の基礎研修を修了していること」、かつ「より高度な実践研修を修了した職員が在籍していること」が条件となります。現在、仁川市内にある約20ヵ所の公立施設のうち、3つの施設がこの基準をクリアして実践機関として指定されています。
私たちは認定プレートを渡して終わりにするのではなく、IGM (ジネスト・マレスコッティ研究所)の認証基準をもとに韓国の実情に合わせて作成したチェックリストに基づき、年に1回は必ず施設を訪問して現場のケアの質を管理するモニタリングを行っています。昨年はジョアン氏と一緒に現場指導を行いました。
現場職員のみなさんは、「私たちはユマニチュードを実践している施設です」という誇りを持って、ケアに取り組まれています。
若年性認知症からヤングケアラー支援へ。ユマニチュードが紡ぐ「新しい関係性」
――仁川広域市認知症センターでは、早い段階から「ヤングケアラー(家族の介護を担う若者世代)」の支援事業に力を入れておられますが、ユマニチュードの理念や技法はどのように活用できるとお考えですか?
(ミナ氏)
仁川市は全国で最も若年性認知症の割合が高いため、独立した特化施設を運営しています。若年性認知症の方の特性に合わせ、認知リハビリだけでなく、復職・就労支援といった社会活動への復帰をサポートしています。昨年は日本の若年性認知症の当事者を招待し 、日韓合同の政策提案討論会を開催しました。
この若年性認知症のご家族を支援する中で浮き彫りになったのが、若い世代が介護を担う「ヤングケアラー」の課題です。彼らの孤立を防ぐために今年からコミュニティの運営を始めました。
そこで気づかされたのは、介護の技術やトラブルの対処法だけでなく、「認知症によって変わってしまった親と、どのように向き合い、どんな関係を築いていけばいいのか」という、関係性の再構築に悩んでいることでした。
認知症によって関係性が変化した家族との新たな関わり方を考えるうえで、ユマニチュードの理念は若い彼らの心の支えになると考えており、今後、機会があればヤングケアラー支援への活用の可能性についても検討していきたいと考えています。
体験型広報とスタジアムでのユニークな啓発。
――今後の課題と、ユマニチュードを継続していく上で大切なことを教えてください。
(ヘシン氏)
現場の従事者やご家族へ研修を行う際、「実践する」ことを強調しています。知識を身につけるだけでなく、一つでもいいからケア技法を実践し、相手の表情や反応の変化を体感することを伝えています。その小さな経験の積み重ねこそが、ケアの質を高めていくと考えています。
(ミナ氏)
また、地方自治体が運営する中で制度的な限界も感じています。公的な予算枠で活動しているため、契約上の枠組みでは、民間の病院や施設に対して4日間の基礎研修を提供することができません。
しかし、民間での需要は非常に高く、約300名を対象に行ったアンケートでは、87%が「人間性を尊重するケアの必要性」を訴え、75.7%以上が「研修を希望する」と回答されました。
その中で試行錯誤しながら民間・地域に向けた普及に努めています。その一つが、センター内に常設した広報館「ドルボム・ヌリ館(ケアを楽しむ館)」です。ここでは福祉関係者や認知症当事者の家族が来館し、ユマニチュード技法(見る・話す・触れる・立つ)や高齢者の疑似体験など、五感を通じて学べる環境を整えています。
また、地域社会全体の認知症への理解を促すため、毎年9月のアルツハイマーデーに合わせて韓国プロ野球球団「SSGランダース」と合同イベントを開催しています。イベントでは、毎年様々なテーマで認知症に関する啓発活動を行っていますが、その取組の一つとして、ユマニチュードをテーマとしたキャンペーンを実施したことがあります。試合の合間には、球場の大型スクリーンを使って、「見る」技法を紹介しました。 客席の何万人もの観客がその場で一斉に隣の人と目を合わせ、スタジアム全体を巻き込んだユニークな広報活動は、地域社会にもインパクトを与えました。
ユマニチュードが定着するためには、単に施設内の「業務」ではなく「日常の当たり前」になることが大切だと考えます。そのためには行政的な支援の拡大とともに、民間や家庭、そして地域全体が一体となることが不可欠です。
国際会議の参加者へ向けたメッセージ
――最後に、福岡で開催される国際会議への期待や参加者へ向けたメッセージをお願いします。
(ミナ氏・ヘシン氏)
国や言語、文化の違いはあっても、私たちがこうして一堂に会することができるのは、「人間の尊厳を守るケア」を目指す同じ想いがあるからです。
今回の「国境なきユマニチュード国際会議」が、みなさんの悩みや苦労を共有し、互いに励まし合える温かい場になることを願っています。優しさを伝えるケアを広げていく仲間として参加者のみなさんとお目にかかり、共にケアの質を高めていけることを心より楽しみにしています。

【編集後記】
オンラインインタビューが始まり、画面に映し出されたお二人の背後には、壁に数多くの表彰状や認定証が並んでいました。仁川広域市におけるこれまでの努力が、そのまま形となって表れているようでした。
「ユマニチュードを日常の当たり前の姿にする」というヘシン氏の言葉や、ヤングケアラーの心の痛みに寄り添い、新たな一歩を模索するミナ氏の言葉から、行政の枠にとらわれない、地域に根差した温かい情熱が伝わってきました。
国境を越えて学びを共有し合う「国境なきユマニチュード国際会議」で、お二人の貴重なお話を伺えることを、今から楽しみにしています。